2018年11月29日木曜日

格闘技は修行

 僕は以前格闘技をしていたのですが、そのとき一緒に練習していた人と先日再会し、格闘技について少し話をしました。

 そこで今回は、久々に格闘技の話題です。オステオパシーとは…、少し関係があるかもしれません。


 格闘技をする人はみな、大なり小なり、「強くなりたい」と思っていることでしょう。

 しかし、僕は一定期間格闘技をしていて、「強さとは曖昧なものだ」と思うようになりました。

 実は、ルールによってその人の強さというのは、全然ちがうものなのです。

 例えば、ボクシングがいくら強い人でも、柔道が強い人と柔道をやれば、その強さを発揮することはできないでしょう。

 相撲のように「土俵から出されたら負け」「膝をついたら負け」というルールになってもまた、勝負の展開は変わります。このようなルールですと、とにかく体が大きく突進力のある人が、「強い」ことなることでしょう。

 また、これはもう競技格闘技ではあり得ないでしょうが、目潰しや金的ありのルール、ナイフや拳銃を使ってもよいというルールでしたら、また強さの意味合いが違ってきます。こうなると、「相手に大怪我をさせても平気な人」が最強となるでしょう(笑)。

 さらに、「体格」や「年齢」というのも、強さをはかる上では重要な要素になります。

 例えば、重量級で弱い選手と軽量級で強い選手はどちらが強いのか、20歳同士で戦えば弱い人と50歳同士で戦えば強い人とではどちらが強いのか…、これらもまた、「強さとは何か」という捉え方次第のようにも思えます。

 つまり、「強さ」とは「ルール次第」「”強さ”の定義次第」だと、今の僕は思っているのです。

 そして結局、「格闘技をする」ということは、「そのルールで強くなるための修行をする」ことではないかとも思うのです。

 そう、格闘技は修行なのです。
 

 格闘技をしていた頃の僕は、そのルールの中で、そしてその年齢に応じて、強くなることを目指して、修行をしていました。

 でも今は、違う修行をしているのですね、きっと。