今年は、4月27日(土)から5月6日(月)までが10連休となるそうです。
しかし『新潟市中央区オステオパシー(整体)』はその間も、定休の月曜日である4月29日と5月6日をのぞき、通常通り営業しています。
「こういう時じゃないと行けない」という方も、ぜひご連絡ください!
2019年4月25日木曜日
2019年4月2日火曜日
イチロー引退スペシャル
イチロー選手が引退しました。
そこで今回は、「イチロー引退スペシャル」です!
まず、新潟市中央区オステオパシーを開業してから、イチローについて書いた記事をご紹介します。
見つけ出したのは以下なのですが…、けっこう書いていますね、やはり。
今後のイチロー(2012.06.24)
イチロー移籍とアメリカ社会(2012.07.28)
イチローの美しさ(2014.04.16)
初動負荷トレーニング(2016.06.29)
イチローは腰が悪いのでは?(2016.10.20)
さて、僕がここを開業したのが2011年なのですが、実はその年は、彼の連続200本安打記録が途絶えた年でした。
メジャーリーグデビューした2001年から2010年の10年間、イチロー選手はシーズン200本安打を続けていたのです。
そして日本では、1994年にシーズン210本のヒットを打って世に出てきて、それから2000年までの7年間、ずっと首位打者をとっていました。
ですから、僕がここを開業する前の17年間が、彼の全盛期、いわば「最も活躍していた時期」なのです。
その期間にも、たくさんの思い出があります。
1994年のシーズン210本安打、「振り子打法」、オールスター戦で投手として登板、「初動負荷トレーニング」、1999年半ばに「打撃について決定的な技術を獲得し、もう後戻りすることはない」と本人が認識したこと、メジャーデビューしていきなり首位打者・盗塁王・MVP、「レーザービーム」、2004年のシーズン最多262安打の記録、2007年オールスター戦での史上初ランニングホームラン、「技術の獲得により、わざと自分にプレッシャーをかけて勝負をした」と本人がいう2007年、2006年と2009年のWBC制覇を牽引…
本当に、マニアックなことも覚えていますね(笑)。
最初に彼が世に出たときには、プロ野球選手とは思えない体の細さと、そしてそれでも最大限にそれを生かした、やわらかい動作とその美しさに驚きました。
当時の僕は高校生でしたが、その後オステオパシーの道を歩むようになってからは、人体の専門家として、彼の肉体や動作に一層注目するようになりました。
また、その言動から垣間見える、考え方、メンタル面にも感銘を受けました。
選手時代の晩年は、「人としての成熟」を意識していたようです。
やっぱり、「求道者」なのですね。
僕は少年時代、原辰徳や落合の真似をしてバットを振っていましたが、いつのまにかそれはイチローの真似となっていました。
イチローがプロデュースしたという「KING NICE」というお店が東京ドームの近くにあったのですが、そこでTシャツやナイロンジャンパーを買ったこともありました。
ハワイで、当時イチローが在籍していたシアトルマリナーズのTシャツも買いました。
シアトルマリナーズの珍しい「白い」キャップを見つけて、それも買いました。
また、そのTシャツとキャップを着けてアメリカ本土に行ったこともあり、そこで現地の人に「オー、イチロー」みたいに声をかけらたこともありました。
シアトルマリナーズに似た配色の携帯電話を見つけて、買い換えたこともありました。
asicsのイチローモデルスニーカーというのも買いかけましたが、高かったし、さすがにそこまでしなくていいやと思ってやめたこともあります(笑)。
インタビュー集など、イチロー関連書籍も何冊か買いました。
あんな選手は、もうしばらく出てこないでしょう。
僕は王貞治さんの現役時代を知りません。
しかし、イチローの現役時代をすべて目撃することができました。
それはとても幸せなことだったと思います。
ありがとう、イチロー!
そこで今回は、「イチロー引退スペシャル」です!
まず、新潟市中央区オステオパシーを開業してから、イチローについて書いた記事をご紹介します。
見つけ出したのは以下なのですが…、けっこう書いていますね、やはり。
今後のイチロー(2012.06.24)
イチロー移籍とアメリカ社会(2012.07.28)
イチローの美しさ(2014.04.16)
初動負荷トレーニング(2016.06.29)
イチローは腰が悪いのでは?(2016.10.20)
さて、僕がここを開業したのが2011年なのですが、実はその年は、彼の連続200本安打記録が途絶えた年でした。
メジャーリーグデビューした2001年から2010年の10年間、イチロー選手はシーズン200本安打を続けていたのです。
そして日本では、1994年にシーズン210本のヒットを打って世に出てきて、それから2000年までの7年間、ずっと首位打者をとっていました。
ですから、僕がここを開業する前の17年間が、彼の全盛期、いわば「最も活躍していた時期」なのです。
その期間にも、たくさんの思い出があります。
1994年のシーズン210本安打、「振り子打法」、オールスター戦で投手として登板、「初動負荷トレーニング」、1999年半ばに「打撃について決定的な技術を獲得し、もう後戻りすることはない」と本人が認識したこと、メジャーデビューしていきなり首位打者・盗塁王・MVP、「レーザービーム」、2004年のシーズン最多262安打の記録、2007年オールスター戦での史上初ランニングホームラン、「技術の獲得により、わざと自分にプレッシャーをかけて勝負をした」と本人がいう2007年、2006年と2009年のWBC制覇を牽引…
本当に、マニアックなことも覚えていますね(笑)。
最初に彼が世に出たときには、プロ野球選手とは思えない体の細さと、そしてそれでも最大限にそれを生かした、やわらかい動作とその美しさに驚きました。
当時の僕は高校生でしたが、その後オステオパシーの道を歩むようになってからは、人体の専門家として、彼の肉体や動作に一層注目するようになりました。
また、その言動から垣間見える、考え方、メンタル面にも感銘を受けました。
選手時代の晩年は、「人としての成熟」を意識していたようです。
やっぱり、「求道者」なのですね。
僕は少年時代、原辰徳や落合の真似をしてバットを振っていましたが、いつのまにかそれはイチローの真似となっていました。
イチローがプロデュースしたという「KING NICE」というお店が東京ドームの近くにあったのですが、そこでTシャツやナイロンジャンパーを買ったこともありました。
ハワイで、当時イチローが在籍していたシアトルマリナーズのTシャツも買いました。
シアトルマリナーズの珍しい「白い」キャップを見つけて、それも買いました。
また、そのTシャツとキャップを着けてアメリカ本土に行ったこともあり、そこで現地の人に「オー、イチロー」みたいに声をかけらたこともありました。
シアトルマリナーズに似た配色の携帯電話を見つけて、買い換えたこともありました。
asicsのイチローモデルスニーカーというのも買いかけましたが、高かったし、さすがにそこまでしなくていいやと思ってやめたこともあります(笑)。
インタビュー集など、イチロー関連書籍も何冊か買いました。
あんな選手は、もうしばらく出てこないでしょう。
僕は王貞治さんの現役時代を知りません。
しかし、イチローの現役時代をすべて目撃することができました。
それはとても幸せなことだったと思います。
ありがとう、イチロー!
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