2016年6月23日木曜日

機械の修理と人間の治療

 先日、施術室内のエアコンにトラブルがありました。

 突如、運転が停止し、エラーコードが表示される、という事態が起きたのです。(幸い、本体リセットをすることで再使用ができたので、運転は継続できた)

 それで修理を頼んだところ、冷媒のガスが漏れていることが判明。

 部品交換などをしてもらったのですが、それでも微細な漏れが続くため、結局、商品交換という形を取っていただき、一件落着となりました。


 さて、その際に修理や交換作業に立ち会ったのですが、うらやましい、おもしろそう、と少し思いました。

 それは、なぜか。

 機械は基本的に、どこが悪いかがはっきりとわかる、からです。

 そして、それに沿った対応をすれば、直ります。

 一方、僕の仕事では、人体というのがあまりにも複雑なため、なぜ具合が悪いのかを特定することが難しい(自信たっぷりに特定する人もいますが、実はそれは「そういう可能性もある」「原因の中の1つである」ということがほとんどだと思います)です。

 そして、僕の場合は施術になりますが、それを良くしようと思って対応をしても、効果の現れ方に大きな個人差も生じます。

 そのような人体の複雑さ・曖昧さに比べると、機械というのは理路整然としているように感じて、お金と労力さえかければほぼ直せるので(もし直せなくても新品と交換もできるし)、そこがうらやましいし、おもしろいだろうなあ、と思ったのです。


 しかしながら、人体には自然治癒や、プラセボ効果があります。

(自然治癒は、放っておいても治ることです。プラセボ効果とは、例え無意味な治療・療法でも、患者さんが「これは治りそうだ」と思うことで、それが体にプラスに働いて治癒を促進することです)

 ですから、何かをすることが、想定以上に効果がある場合もあるのです。機械にはそれはないでしょう。理屈どおりにしか事が運ばないはずです。

 また、機械相手に1日過ごすよりは、人間を相手にしていた方が楽しいとも、僕は思います。

 なので、よく考えてみると、機械よりも人体を相手にする方が、治すのに有利な点・楽しい点も、あるのかもしれません。


 結局、ぼくには今の仕事の方が向いているのだとは思います。

 ただ、機械を相手にすることには、人間を相手にすることとは別の楽しさもありそうです。

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