オステオパシーの専門学校在籍時代に、オステオパシー発祥のカークスビル大学へ、研修に行きました。
今回は、そこで思ったことを書いてみます。
オステオパシーには、患者さんをある姿勢に動かし、そのまま一定時間静止することで組織を緩ませる、という技術があります。
その際に、「圧痛点」という部分を探して押して、その痛み具合をチェックポイントにして、施術をします。
さて、カークスビル大学への研修で僕らは、その技術について有名な先生の講義を受けました。
その時に少々驚いたのですが、その先生は、自分でその「『ある姿勢』を見つけなさい」というのです。
それも、複数見つけろ、というのです。
日本では、この圧痛点の時はこの姿勢、あの圧痛点の時はあの姿勢、とわりと決められた姿勢を教わっていました。
でもその先生は言いました。
「患者さんが先生なんだ」と。
僕は、自分で作った『ある姿勢』の1つを先生に見せました。
すると先生は、「それだと組織が緩まないと思う」とおっしゃいました。
しかし僕は、「でも圧痛は消えています」(これが組織の緩みを意味します)と言いました。
そうしたら先生は、「そうか。じゃあ、いいんだな」とおっしゃり、僕のもとを去って他の生徒を見に行きました。
これは素晴らしい教育だ、と思いました。
日本で一部の先生は、「自分の言うことは正しいから、それを真似しろ。疑問を持つな」と言っていました。
しかしアメリカではきっと、「重要点は教えるから、あとは自分で考えろ。私(講師)(先生)よりも、患者さん、つまり『目の前の現実』が『本当の先生』だ」という教育が行われているのだと思いました。
最初は、とりあえず誰かの真似をする、という方法がやりやすいでしょう。
しかし、その真似する相手が100パーセントの真理をつかんでいるわけではありません。
そして、勉強はずっと続くのです。
ですから、自分で疑問を持ち、自分で情報を得たり、考えたりし、現実と照らし合わせて分析する、という方法がその後は重要になってくると思います。
その点で、アメリカの教育は素晴らしいと思いました。
一方、日本人は体の使い方が上手で、1つ1つの技術の精度は日本人の方が高いのではないか、とも思いました。
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